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浅野健治

 伝統という財産を持ちながらも

 時代の流れを意識した感度の高いサロン作りを目指す。

  YAYOI∼BRAINS 代表取締役 浅野 健治

当社は母親が経営していた小さな美容室がはじまりです。

 

自身の将来を考えた時、店を継ぎ、少しでも大きくしたいと思い美容師の道を志しました。

 

また、高校生の頃からファッションやヘアスタイルに強い興味があったので、服装や髪型に規制のない仕事に就きたかったというのも美容師を選んだ理由の一つです。

大学に行きながら美容学校を卒業してからは、インターンを経験して免許を取得し当時、雑誌社が主催するコンテストでグランプリを獲られた先生のかばん持ちとして講習について回り技術を学びました。

 

その後、先生がオープンされたお店で修業している時に、両親から実家の美容室が支店を出すので戻ってきて欲しいと言われ、断腸の思いでお店を辞め、実家に戻りました。

父親が勤めていた会社を定年退職した時期だったので、支店を出すと同時に実家の美容室を会社組織にしようという流れになり、株式会社を設立しました。

 

サラリーマンだった父親に経理と経営を任せ、私は技術の習得やブランディングに努めました。

当時はとにかく技術が最優先。

 

少々接客が悪くても、技術さえあればお客さんは来店してくれる時代でした。

 

だからこそ、とにかく技術を磨き、メーカー主催のヘアショーやセミナー等に出場しながら会社の名前を広める努力をしました。

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美容師としての転機となったのが、1989年に参加した美容メーカー「ウエラ社」の新しいパーマ剤の販売プロモーションでした。

 

3人の美容師がコラボレーションし、一つのヘアデザインを作るという企画だったのですが、そのスタイリストの一人として抜擢されて参加させていただきました。

 

当時、講師として活動していた大阪や京都でのセミナーの様子などを「ウエラ社」のマーケティングの方が見てくれていて、声をかけていただきました。

 

東京の有名な美容師と関わる仕事はすごく刺激的で、技術やデザインに対するモチベーションのアップにつながりました。

 

ヘアデザインの企画と並行して、そのパーマ剤の使い方などをレクチャーするセミナーも開催されたので、北海道から九州まで全国各地を回りました。

 

これらの活動がきっかけになり、大きなヘアショーや美容の業界誌の仕事なども多く頂けるようになりました。

 

当時はブログやSNSもなく、そういったきっかけを作るのが難しい時代だったので本当に運がよかったですね。

元々、自分の技術を高めることや会社の名前を広めることを目的として始めたクリエイションでしたが、ヘアだけでなく、それに合わせた衣装や音楽など全体のスタイリングを考えることが楽しくて。

 

学生時代から絵を描くことやデザインすることも好きだったので、自分の感性を生かせるという意味では、美容師という道を選んだことは最善だったと思います。

YAYOI∼BRAINS

当社は今年4月10日で創業70年を迎えました。

 

約30年前から「ニューラインコレクション」として、その時代に一番輝く女性像を意識した新しいスタイルを創作して発信してきました。

 

昔は自分が先導する形でクリエイションしていましたが、今はディレクターや若いスタッフに任せています。

 

なぜなら、自分が加わることでどうしても自分好みに偏ってしまうから。

 

長い歴史を持ちながらも常に最先端のデザインを追求し、新しい技術や感性を積極的に取り入れることが、サロンとして進化し続けるために必要だと思っています。

 

また、当社ではいち早くケアの必要性を考え、その人自身が持つ素材の美しさを生かすことに力を入れてきました。

 

今ではケアすることが当たり前ですが、20年ほど前はあまり意識されていませんでした。

 

いくら素敵なスタイルでも髪の毛自体がボロボロでは意味がありません。

我々が常に意識してきたのは最新の技術やデザイン、そして素材美への追求です。

 

それによってお客様の信頼を得られたからこそ、進化と成長を続けることができたのだと思います。

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経営者として喜びを感じるのは、はじめは不器用だったスタッフが長い年月をかけてスタイリストデビューしたとき。

 

努力する姿を見ている分、嬉しいですね。

 

また、私自身、ヘアショーやコンテストなどのクリエイティブな活動をすごく大事にしてきたため、スタッフたちが数々のコンテストで受賞した時は大きな喜びを感じます。

 

会社として強制しているわけではないのですが、当社では多くのスタッフが積極的に参加しています。

 

コンテストで受賞したスタッフは、お客さんからの指名も増えます。

 

なぜかというと技術に自信が芽生えるから。その自信がお客さんに伝わることで信頼が生まれています。

 

サロンワークだけでなく、そういったクリエイションに力を入れていることは自身の成長にもつながると思います。

逆に辛いと感じるのは、信頼していたスタッフが不義理な辞め方をしたときや、期待していたスタッフが独立で等で辞めたいと言ってきたとき。

 

今までに何度か経験しましたが、すごくショックですし、残念に思います。

浅野健治

今の美容業界には、他店で育ったスタイリストを集めて業務委託する形態のサロンや低料金サロン、カラー・エクステ・トリートメント等の専門型サロンなど様々な形態の美容室が蔓延しています。

 

その中で最後に生き残るサロンは、我々のようにスタッフを一人前になるまで様々な投資をして育成する「教育型サロン」だと信じています。

 

なぜなら確かな技術があるから。

 

2、3年でデビューしようとすると、その時代に売れるスタイルしか作れません。

 

しかし、長い時間をかけて教育しているからこそ基礎がしっかりしており、お客様が求めるどんなスタイルにも対応できるようになります。

 

また、一から育てることで美容師としての人間性もきちんと養われるので、お客さんとの関係性が作れ、信頼につながっていきます。

今後は女性スタイリストも長く働ける会社作りを目指し、結婚しても産休や育休を取ることはもちろん、働きやすい勤務時間や休日を相談して決めることのできる「特別限定社員」という新しい雇用形態を実施しています。

 

子育てをしながらでも、できる限り長く働ける環境を作ることが会社としての役割だと思うからです。

 

男性スタイリストに対しては、クリエイティブディレクターや技術教育部長、マーケティング部長など、年齢と共に自分の得意分野が生かせる役職を与え定年まで働くことが出来る体制を整えていきます。

 

一人ひとりがキャリアプランを描き、実現させる会社作りを目指したいと思います。

 

新しい店舗をどんどん増やすことよりも、今いるスタッフが長く働ける会社を作ることを意識し、100年続く企業にすることが今後の目標ですね。

美容師の仕事は、努力すればするほど成長でき、お客さんからも評価や感謝をされるやりがいのある仕事です。

 

美容師の世界は奥深いので、簡単に考えていると長く続きません。

 

だからこそ美容師の仕事に対して情熱を持った人と働きたいですね。

 

そして何といっても笑顔が素敵な人。

 

そんなスタッフと一緒に働き、長く会社を続けていきたいです。

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